- 今回のミックスに込めた思いやアイデアについてお聞かせいただけますでしょうか?
今回は日本ツアーを家族旅行と組み合わせました。子どもが10歳で、初めての日本体験にはぴったりの年齢です。なので、今回は大事なリモワのバッグは家に置いて、20枚だけレコードを持って行きました。どの会場でも使えるようなものを選びました。東京ではMitsuki、Room 303 Radio、もちろんELLA、そして大阪ではAbsinthe Undergroundでプレイする予定だったからです。
基本的に、自分にとって特別なレコードばかりです。それぞれ違う棚から持ってきましたが、どれも購入したときの状況や思い出がはっきり残っている特別な1枚です。私が持っていくレコードには、目に見えない「感情の軌跡」や「どこで、誰と出会ったか」の歴史が含まれています(私はレコードを探す側ではなく、レコードが自ら「僕を連れて行って」と棚から訴えかけてくる感じで出会うのです)。
今回持ってきたのは、そうしたSTORIESです。Ella Storiesや日本、世界の友人たちと共有できるSTORIESです。他人からもらったSTORIES(つまり他人の音楽)と、自分自身のとても大切なSTORIESも含まれています。例えば、思考気雲は日本の歌手・笹島美奈子さんとJimi Tenorとの作品で、この東京でのミックスのために作った物語です。この感覚には代えがたい特別さがあります。また、もう一つの自分の特別なレコードは、SPDSCの10インチ(Glenview Records / シカゴ 2011-2012頃リリース)で、当時A&R責任者として働いていた頃の作品で、まるでタイムトラベルのようなスピリチュアルな1枚です。
- ミックスを作成する際のご自身のアプローチ方法について教えてください。
計画はほとんどせず、でも常に準備万端です。限られた条件(小さいバッグや長時間フライト)があるので、事前に厳選する必要があります。そして常に新しい挑戦を。例えば、Ellaでのプレイの翌日、Room 303 Radioでプレイしたときは、あなたから買った3枚のレコードでスタートしました。宿泊先のホテルではターンテーブルが使えなかったので、その曲はほぼ半分手探りでプレイしましたが、完璧にうまくいきました。移動しながら聴いてプレイする感覚は本当にワクワクします。ラジオやリスナーが予測できないトランジションや流れを体験するだけでなく、私自身も同時に体験しているんです。この「即興で学び、教える」感覚が、私の活動のすべてをワクワクさせてくれます。
クラブやバーでのギグに関して言えば、DJがするべきことは単にレコードを繋ぐだけでなく、空間、そこにいる人々、感情、反応、バーカウンターの音、歓声などをブレンドして、空間を満たしたり、朝日の中で溶けていく人たちのために最後まで包み込むことだと思います。
- あなたの出身地であるサンクトペテルブルクのDJカルチャー、クラブミュージックシーンは現在どんな感じですか? また、クラブではどんなジャンルの音楽が人気ですか?
私は、どの国でも同じように、音楽文化は何年もかけてループを繰り返していると感じます。電子音楽もそうですが、音楽自体がループで成り立っていますし、国ごとにも過去にあったものを繰り返す傾向があります。自分は、かつての世代のDJたちが感じていたことと同じことを今も感じています。今の若い世代はより速く、アグレッシブで、バイラルになりやすく、数値的には「大きい」存在になりがちです。音楽業界の人々はスマートフォンを通じて誰にでもアクセスできる時代ですし、時にミュージシャンやDJは、自分を音楽に導いた原点を忘れてしまい、近道や間違った理想に従ってしまうことがあります。
しかし、本質は世代間の知識の伝達だと思います。前の世代が築いたものを次の世代に伝え、より多くを知り、感じ、手に入れられるように情熱を込めて作り上げることです。自分の故郷や世界の他のシーンでは、この感覚が少し失われつつあるように感じます。ただ、日本ではそうではありませんでした。MitsukiのバーでToshiya Kawasakiさんと一緒に過ごしたとき、新しい世代が前の世代のDJを尊敬しているのを目の当たりにして、名誉と尊敬、そして素晴らしい教育的瞬間を感じました。日本が築くこの文化的な橋は、世界中のシーン、特に自分の故郷サンクトペテルブルクにとって大きな学びになると思います。
今、自分は故郷で何かを再構築したいと感じています。過去の旅で得たすべての宝を再サンプリングし、古い世代と新しい世代をつなぎ直し、新しいプロジェクトを始めたい。クラブシーンについて言えば、サンクトペテルブルクは少し勢いを失っているように見えます。現状残っているクラブはおそらくBlankだけでしょう。今年、自分のプロジェクト「KUZNYAHOUSE」を再始動させたいと思っています。過去8年間は大変でしたが、Erol Alkan、Ruf Dug、K-HAND、Public Possessions、Kenji Takimi、Chidaなど素晴らしいDJやミュージシャンと一緒に活動してきました。それでも距離があったり、外にいたりして、なかなか再構築できませんでした。今、再び自分の手で作り上げていきたいと強く感じています。
- 昨今の国際情勢の変化がロシア都市部の音楽シーンやアーティストの音楽活動に影響や制限をもたらしたりはしましたか?
正直、言葉にするのは難しいのですが、自分が言えるのは、音楽やアート、コミュニティこそが、社会を災害や破滅に導かない解決へと導く力になり得ると信じている、ということです。音楽はコミュニケーションであり、美であり、希望の表現です。
今のシーンは孤島のようだと感じます。時には外から人が訪れますが、以前ほどではありません。橋が必要です。もし何かが完全に孤立してしまうと、一定期間はうまくいくかもしれませんが、交流がなければ続きません。自分が今感じているのは、まさにその「交流」が必要だということです。
- あなたは現在ドバイにも拠点を構えていますよね? ドバイは経済的にも文化的にも成長著しい都市だと思いますが、現在のDJカルチャー、クラブミュージックシーンはどんな様子ですか? また、DJ/プロデューサーとして生活しやすい環境ですか?
家という意味ではやはりサンクトペテルブルクがホームですが、ドバイもかなり頻繁に訪れる場所で、私がクリエイティブディレクターを務めるメディアプロジェクトの拠点でもあります。Sandy Times Mediaというプロジェクトで、ラジオ局STRも運営しています。
ドバイは興味深い都市で、内部にさまざまな世界があり、成長しています。個人的には、ドバイは「本当の都市(REAL CITY)」になろうとしていると思います。「本当の都市」とは、アートカルチャーやストリートフード、ストリートカルチャーが根付いた都市のことです。東京と比べると、まだストリートカルチャーはあまりなく、そこが今一番欠けている部分だと思います。だからこそ、自分の小さな影響やアイデア、試みはそこに向けられています。ドバイでは、Moist Paper PartyやDancewerk(友人が運営)などの小さなシーン創出パーティがもっと増えるべきだと思います。
プロデューサーもまだ発展途上ですが、ドバイにはすでにキングがいます。私が特におすすめするのはShadi Megallaaで、彼のレコードは世界中で販売されており、ドバイシーンのゴッドファーザーだと思っています。
文化の今後の展開が本当に楽しみです。私はラジオ活動をしたり、友人の素晴らしい音楽バーHoneycomb Hi-Fi(日本人ブッキングあり)を手伝ったりしています。Sandy TimesとHoneycomb Hi-Fiでは、私とKenji Takimiが一晩中ヴァイナルをプレイした素晴らしい夜もありました。このときはSTがKoshtaのアート展示をバーに持ち込むなど特別な夜で、Kenjiの滞在自体も素晴らしく、アブダビのルーブルなど小さな体験もたくさんしました。次はToshiya Kawasaki & KuniyukiのライブをHoneycombで行う予定で、伝説的なアーティストをドバイに招くことにワクワクしています。ドバイがどう反応するのか本当に楽しみです。
- 日本のDJカルチャー、クラブミュージックシーンについて感じることはありますか?
もちろんです。前の質問でも話した通り、これはあくまで私にとっての例です。アートに基づいたアート、見せびらかしではなく、言葉より行動、先人への敬意、細部への深い愛、機材や音響へのこだわり、教育を通して楽しませる——それが私が日本で体感し、学んだことです。世界中の他のパーティと比べても、音楽が最も“生きる”のは日本だと感じます。例えばMitsukiでは、スピリチュアルな深いトラックこそ、どんなダンスフロア向けの曲よりも響く。私にとって、それが最高の評価です。日本に敬意を。愛しています。
- あなたはDJとして世界中を訪れていますが、その中でも特に感銘を受けたDJカルチャーを有する国や都市はありますか?あれば、その理由も教えてください。
私は、こうしてさまざまな人々に会い、プレイできる機会に心から感謝しています。音楽は国際的なコミュニティであり、世界のほとんどどの都市に行っても、伝統と新しい音楽が融合したレコードショップを見つけ、自分が誰で何をしているかを伝え、認められ、受け入れられ、時には友人にもなれる。そして、その街や国の文化を内側から体感できるのです。国も都市もそれぞれ違いますが、全ては人によって作られます。一人の人間が変化を生み、すべてを築くことができる。私はそういう人々を街で探し、彼らと共に世界を体験します。人々に感動し、励まされ、私は自分の活動を続けることができるのです。
- 国外でDJとしてのキャリアを積むために必要なスキルやマインドはどういったものだと思いますか?
そうですね、私の考えでは成功は大体、努力30%、やる気20%、コミュニケーション能力20%、運30%だと思います。自分に合った指針があれば意外とスムーズに進みます。私の場合は、「音楽を通じて友達を作る」という明確なポイントがあったんです。楽しそうに聞こえますが、本当にその通りで、「やりたい!」という気持ちを持ったときに時間を投資し、さらに運が味方してくれたことで、最終的には人のつながりが生まれ、物事が可能になりました。そしてもちろん音楽も重要です。
トレンドや流行に乗るのも一つの方法かもしれません。それで商業クラブに繋がったり、少しお金を稼げたりします。でもその場合、深い体験はできません。もっと深く掘り下げると、次のレベル、さらにその次のレベルへと進めます。自分の道を見つけて、「なぜこれを始めたのか」という気持ちに正直でいることが大事です。妻に言われたことがあります。「あなたは本当にレコードが好きなんだから、ずっとそれをやり続ければいい」と。まさにその通りで、私はレコードが大好きです。音の響き、見た目、バッグの中の重さ、詰まったイケアの棚…全てが音楽のキャリアにつながっています。友達に会い、レコードを楽しむ。それが私にとっての道です。そしてもちろん、運も大切です。
- DJ活動以外で、あなたのクリエイティビティを刺激するものは何ですか?
すべてです。本当に。答えはシンプルですが、希望でも不安でも、愛でも憎しみでも、美でも醜さでも、触れたものすべてが対象です。自分に何かが触れると、それを音に変換します。何かを具体的に説明できるわけではありませんが、一つだけはっきりしていることがあります。それは「創作には働くことが必要だ」ということです。だから基本的に、創造性とは、ピアノやシンセ、ラップトップの前に座ったときに頭に浮かぶものです。インスピレーションを受け、それを働くことで形にしていく。すべてが刺激となりますが、私は“働くこと”でその刺激を機能させています。
- DJとしてのキャリアをこれから始めようとしている方々に向けて、何かアドバイスはありますか?
うわぁ、本当に大変な仕事ですが、信じられないほど素晴らしい旅でもあります。精神的にも、肉体的にも、社会的にも、最も厳しい仕事のひとつです。笑うかもしれませんが、DJをしているときの脳は崩壊寸前で、神経回路は氷のように薄く、ものすごい速さで働き、膨大な情報を分析しながら、ただ他人のトラックを順番に流しているだけなのです。想像できますか? シンプルなことほど複雑で、競争も激しい。DJは大変です。DJは責任です。もし音楽以外の目的でここにいるなら、別の仕事を選んだほうがずっと早く、長期的に満足できるでしょう。でも、もし音楽のためにここにいるなら、ようこそ、仲間へ!
- 2025年は、どのような計画がありますか?
計画について話すのはあまり好きじゃないんです。まずは行動してから話すタイプで。いつも通り、いろいろ仕込んでいるところなので、みんなにシェアできる日が待ちきれません。